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投稿者:矢崎 那央
基本情報
タイトル 君は、風に還る 第十二章 -風の断絶(たちきれ)-
タグ *君は、風に還る
コメント ―触れてしまえば、壊れてしまいそうな―

翌日も、変わらすティロは飛鳥の元を訪れる。

湖畔の木々が、風にさやさやと揺れていた。

陽は高く、草は柔らかく、空はどこまでも澄んでいた。
まるで、ふたりのためだけに用意された午後のように。

飛鳥は、地面に腰を下ろし、背を丸めて羽を整えていた。
足の指で丁寧に、風切羽の端をつまみ、少し濡れて乱れた部分をそっと梳く。

ティロはその隣に、静かに座っていた。
飛鳥の動きを邪魔しないように。
でも、すぐ隣にいたくて。

「……綺麗だよ、その羽」

飛鳥はふいに動きを止め、横目でティロを見た。

「……ほんとに、そう思う?」

「うん。ずっと……そう思ってた。
でも最近は、“綺麗”っていうより、“君そのもの”って感じがして……もっと好きになった」

飛鳥は何も言わず、ただもみあげをふわりと揺らしながら、足先で草をいじった。

「……人間じゃないのに?」

ティロは、少し考えるように空を見上げて、
そして、まっすぐ飛鳥の方を向いた。

「うん。……飛鳥は、飛鳥でしょ」

その言葉は、どこまでもまっすぐで。
風のように優しくて。
でも、胸の奥までちゃんと届いた。

飛鳥は、目を伏せながら小さく笑った。

「……ずるいよ、そういうの」

「えっ、なんで?」

「……なんでも」

言葉は濁したけれど、その頬にはほんのりと朱が差していた。

しばらくの沈黙。
でも、それは気まずさではなく、
ふたりだけの静けさだった。

「……ねぇ、飛鳥」

ティロが、そっと声をかけた。

「なに?」

「……羽、またさわっても……いい?」

風が止まったように感じた。

飛鳥は、思わず目を見開いた。
翼を抱えるように少し引き寄せる。

「……なんで?」

「……なんとなく。
もっと、ちゃんと“君”を知りたいなって……思っただけ」

その声に、強さも期待もなかった。
ただ、真っ直ぐな気持ちだけがこめられていた。

飛鳥は少しだけ悩んで、
それから、そっと翼を広げた。

「……やさしく、してね」

ティロは頷いて、そっと手を伸ばした。

指が、羽根に触れる。
ふわりと、柔らかく、そしてしっとりとした質感。
風をまとうような感触だった。

「……あったかいんだね、羽って」

「そう? 自分じゃ、わかんない」

ティロは、そっと撫でながら、言葉を探すように呟いた。

「なんか……触れたら、君がちゃんと“ここにいる”って思えた」

飛鳥の肩が、ふるりと震えた。
胸の奥がきゅっと締めつけられる。

(……こんな風に誰かに触れられて、
こんなふうに見てもらえたの……たぶん、初めて)

風がまた、ふたりの間を通りすぎた。

ティロはそっと羽から手を離し、
何も言わずに、ただ隣に座っていた。

飛鳥もまた、羽をそっとたたんで、体に巻きつけるようにして座る。

とても静かで、とてもあたたかい午後。

——何も起きなければいい。
——ずっと、この時間が続けばいい。

飛鳥は、そう願わずにはいられなかった。

***

―君に触れた風が、引き裂かれる日―

昼下がりの陽が、屋根瓦を静かに照らしていた。

ティロは、玄関先で靴ひもを結びながら、ちらりと空を見上げた。
昨日よりも風がやわらかくて、空が高い気がした。

(……今日は、昨日より少しだけ、近づけるかな)

そう思うと、胸が少しだけ熱くなった。

「ティロ、どこ行くの?」

背後から母の声。
けれど、それに気づかれたくない気持ちがあって、ティロは曖昧に笑った。

「ちょっと、スケッチ。森の中の方まで」

母は微笑んだ。

「あら、最近ずっと楽しそうね。
前は何だか、ずっと塞ぎ込んでたのに……いいお友達ができたの?」

ティロは少しだけ顔を赤らめて、言葉を濁したまま出て行った。

母は見送ったあと、ふと玄関の隅に目を向けた。
忘れられたように置かれたスケッチブックがあった。

「……あら」

手に取って、何気なくページをめくる。
そこには、翼のある少女の絵。
肘から先が羽で、脚は鳥のような鉤爪。
けれどその表情は、風に微笑んでいるように、どこか儚くて美しかった。

母の眉が少しだけひそまる。

「……これは……?」

そこへ、玄関の戸が重く開いた。
背に獲物を担いだ大柄な男が立っていた。

「……帰ったぞ。獲れたぞ、今日は鹿だ」

それはティロの父だった。
かつて、森で飛鳥を“化け物”として矢を放った男。

彼の目が、スケッチブックの中身を見とめる。

「……それ、どこで見つけた?」

「ティロの……さっき置いていったの。これ……あの噂の子?」

「……あぁ。最近、森で何度も目撃されてる。
旅芸人にしてはおかしい……いや、最初から違うんじゃないかって話だ。
半鳥の化け物が、人の子に化けて入り込んでるってな」

母は唇を噛みしめた。

「……ティロ、あの子と……」

父は無言で頷く。

母は青ざめた。
心配と恐怖と、愛情がないまぜになった表情だった。

場面は、森の奥の湖畔へと移る。

飛鳥は、湖の水面をつま先で蹴りながら、柔らかく笑った。

「ティロ……こっち見て。羽に、光が映ってるよ」

その笑顔に、ティロの胸がじんわりと熱くなる。

今は、もう隠さない。
彼女が“異形”であることも、“風”のような存在であることも。
それをまるごと、好きだと思っていた。

(……これが恋なんだ)

まだ名前を知らなかった感情に、はっきりと輪郭が与えられた気がした。

飛鳥もまた、視線を伏せながら、そっと呟く。

「……なんか、最近、自分の羽が……少し好きになれたかも」

ティロは目を見開いた。
そして笑った。

「それ、嬉しい」

風がふたりの間をすり抜けた。

飛鳥の羽が、きらきらと揺れた。

しかし——その静けさは、突き破られた。

「……ティロ!」

木々をかき分けて、大人たちが現れた。
先頭にいたのは、ティロの母。そして、父。

その後ろに、街の男たち。
怒りに燃える視線と、恐怖と、正義の名を借りた排除の意志。

「……なんで……!」

ティロが叫ぶ。

「彼女は! 飛鳥は! 何もしてない!!」

母は震える声で叫び返した。

「違うのよ、ティロ……違うの……! あの子は、人じゃない……!」

父は無言で前に出て、飛鳥の腕——いや、翼を掴もうとする。

「や、やめて!!」

飛鳥は羽で身を隠し、後ずさる。

「ティロを、傷つけたりなんか……してないよ……!!」

「嘘だ!!人間の心を惑わして、取り込もうとしてるんだ!!」

——その瞬間だった。

ひゅんと風を裂く音。

矢が放たれた。
飛鳥の頬をかすめ、浅く切り裂く。

「っ……!」

薄皮が裂け、血が一筋、羽根の下をつたって落ちた。

「やめて……っ! やめてよ!!」

ティロが叫んだ。けれど、大人たちは止まらない。

次の矢が放たれた。

それは、翼に突き刺さった。

「——あつっ……!」

飛鳥の体が、大きくのけぞった。
翼の中ほどに深く突き刺さった矢が、筋を裂いて揺れていた。
痛みが、焼けるように広がり、全身が痺れたようになった。

「う……ぁ……!」

飛鳥はよろめきながら地面に膝をつき、
片羽を庇うように丸まった。

——その瞬間、石が飛んだ。

ゴツンッ

「っ……!」

額に鈍い衝撃。
次の瞬間、赤い血が額から滴り落ちる。

目の奥が揺れた。
景色が歪む。
吐き気がするほど、脳が揺さぶられた。

「やめてえええぇえぇぇっ!!」
ティロの叫びが、遠くに聞こえる。

誰かの怒鳴り声。
誰かの罵声。

「化け物!」
「人の顔して近づくな!」
「祟り神か悪霊か知らねぇが、街に災いを持ち込むな!」

矢が次々に番えられる音。
石が手に取られる音。
誰かの泣き声。
血の味。
恐怖。

(……やだっ……もうやだ……あたし、なにもしてないよ?……)

飛鳥は、羽根で顔を隠してうずくまった。
混乱と恐怖、身体と心の痛みが混ざり、
——涙があふれた。

そのとき——

空気が、ぴたりと止まった。

木々の葉がざわめき、鳥たちが一斉に空へと逃げる。

視線が、一斉に森の奥へと向けられた。

——白。

白い衣と、朱の袴。
狐面を半ば下ろし、冷たい月のような微笑みを浮かべた女が現れた。

九重。

「——ええ度胸やなぁ。
うちの子に、ようもまぁ、ここまでの仕打ちを……」

その声音は甘く、艶やか。
けれど、大気が震え、空気が刃のように張り詰める。

「……この場で血を流さんで済むのは、運がええ思いなはれ」

九重の周囲で風が巻く。
扇子が宙を舞い、その気配は一変する。

「飛鳥、こっちへおいで——今すぐ」

飛鳥は、痛みに震えながら顔を上げた。
涙に濡れた視界の先に、ティロの姿があった。

「行くな! 飛鳥!!
まだ……言いたいこと、いっぱいあるのに!!」

飛鳥は、唇を噛んだ。
言葉を返そうとしても、声が出ない。
頬を伝う血と涙が、頬と羽を濡らしていた。

視界が白く、そして、無音になった。

飛鳥の視界の中から、ティロの姿が、すうっと消えていった。

——そのとき、確かに聞こえた気がした。

「飛鳥……好きだよ……」

そして、風は止んだ。

飛鳥は、翼を震わせながら、九重の腕の中で、
ただ静かに、声も出さずに涙をこぼしていた。

(……あたし、やっぱり……)

(人じゃ、ないの……?)

(誰かに、違うって言ってほしかっただけなのに……)

風が、羽を撫でた。
けれどもう、昨日までの風とは違っていた。

つづく
iコード i965100 掲載日 2025年 05月 16日 (金) 23時 35分 05秒
ジャンル イラスト 形式 JPG 画像サイズ 1179×1496
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