タイトル | 君は、風に還る 第十一章 -濡れ透けエチ事件〜風の輪郭、胸の鼓動 | ||||
タグ | *君は、風に還る | ||||
コメント | それから、二週間ほどが過ぎた。 ティロは毎日のように、森の湖畔へと足を運んだ。 そして飛鳥も、最初は戸惑いながらも、彼の訪れを拒まなかった。 最初はほんの数分。 次は短い会話。 そして、少しずつ、風に揺れるようにふたりの距離は近づいていった。 飛鳥はまだ、人と深く関わることに慣れていなかった。 けれどティロは焦らず、押しつけもせず、ただ彼女のそばにいた。 スケッチを描きながら、時折笑い合い、 風と陽の匂いの中で、静かに時間を共有した。 そして、ある日の午後—— 湖畔の光はやわらかく、木漏れ日が水面に揺れていた。 飛鳥は、靴も靴下もない足でそっと水の中に入り、 冷たさに「ひゃっ」と声をあげた。 「……冷たいけど、気持ちいいかも」 そう言って、湖の浅瀬を歩きながら、 羽を広げて陽の光を受ける。 その大きな青緑の翼が、きらきらと反射し、 まるで風と光の羽衣のように揺れていた。 ティロは、少し離れたところから、その姿を見ていた。 (……なんだろう……) ただ見てるだけなのに、胸の奥がざわついていた。 飛鳥は、水面にしゃがみ込み、 翼を使って水をすくうようにしてバシャリと散らした。 しぶきが跳ねて、 肩を出した薄手のチュニックに、水の跡が広がっていく。 最初は気にする様子もなかった飛鳥だったが、 じわじわと濡れた布が肌に張り付き、 胸元や脇のラインが、ほんのりと透けてきた。 「……あっ……やば……」 飛鳥がつぶやき、小さく羽で胸元を隠す。 けれど、その仕草はあまりにも無防備で—— ティロは、目を逸らせなかった。 チュニックの下のうっすらとした曲線。 肩から伝う雫。 光に透ける布越しに見える、柔らかな肌の気配。 (……女の子、なんだ……) 今まで、どこか“人間じゃない”という認識があった。 翼。鳥の脚。異形の体。 でも今、目の前にいる彼女は、 たしかに、女の子だった。 ティロの胸が、どくん、と跳ねた。 (なにこれ……なんで、こんな……) 赤くなる顔。 震える指。 見てはいけないのに、目を逸らせない。 飛鳥が、水辺から上がってくる。 風に濡れたチュニックがまとわりつき、 羽根が重そうにしなっている。 「……失敗した……もっと風が強い時に乾かせばよかった……」 笑いながら言うその姿は、どこかあどけないのに、 その濡れた服と、肌に浮かぶ水の粒が、 ティロの胸の奥に妙な焦燥を残していった。 ティロは、黙ってスケッチブックを開く。 (……描かなきゃ……いや、でも、こんな姿……) (……描いたら、変かな……) けれど、手は止まらなかった。 羽根のきらめき。濡れた布の質感。 無防備に見せた“少女”の輪郭。 そして——心の中に芽生えた、ときめき。 「……この子のこと、もっと知りたい……」 その言葉が、胸の奥に浮かんだ瞬間、 ティロのスケッチブックに描かれる飛鳥の姿は、 もう“ただの不思議な子”ではなかった。 *** ―この羽に、手を伸ばしてもいいのなら― その日もまた、湖には静かな風が吹いていた。 ティロと飛鳥は、いつものように並んで座っていた。 飛鳥は小さな花を足の指でつまみながら、ぽつんとつぶやく。 「これ、街で見た花とちょっと違うかも……」 そう言って、足先で花をくるくると回して見つめる横顔は、まるで子猫のようだった。 会話の間、彼女は何度も足を軽くゆすって地面をとんとんと叩いていた。 そのリズムは無意識のもので、何か嬉しいことを噛みしめているようにも見えた。 時折、考えごとをするとき、彼女は翼をゆっくりとたたみ、 体に巻きつけるように抱きしめながら座り込む。 その姿は、見ているだけで守ってあげたくなるほど儚げで、どこか孤独だった。 ティロは、そんな飛鳥の仕草を見て、ふいに気づいてしまった。 (……かわいい) ただそれだけの感想だった。 でも、その言葉が胸の中にぽとりと落ちた瞬間、 何かが変わった気がした。 (今の……“女の子”として……) 心臓が、どくんと跳ねる。 風の中に溶けていたはずの彼女の存在が、 急に輪郭を持ち始めた気がした。 (……こんな気持ち、初めてだ) 「……ねぇ、飛鳥」 ティロが、少しだけ声を沈めて言った。 飛鳥は水辺に羽を広げたまま、振り向いた。 風に髪が揺れ、もみあげが頬にかかる。 「ん?」 「……その羽……」 「……うん?」 ティロは一度、唇を噛んだ。 けれど、言葉は、思いのほうが先に動いていた。 「……触ってみても、いい……?」 風が止まったような気がした。 飛鳥は、目を瞬かせたまま、すぐには答えなかった。 翼がわずかに引き、彼女の肩が少しすくむ。 「……え……?」 「……あ、ごめん。やっぱり変だよね、いきなりそんなこと……!」 「ちが……」 飛鳥はかぶりを振った。 けれど、視線は泳いだまま、翼を胸元に寄せた。 「……びっくりしただけ……」 「……」 「……だって、今まで、誰にも……そんなふうに言われたこと……なかったから」 ティロは、黙ってうなずいた。 飛鳥は、そっと翼を見つめた。 (この羽が……気持ち悪くないって……触ってみたいって……) (……ほんとに、そう思ってるのかな……) 羽は、光を受けて青緑に揺れた。 そして、ほんの少しだけ。 ほんの少しだけ、飛鳥は翼を開いた。 それは、触れてもいいという言葉のかわりだった。 「……じゃあ……少しだけ、いい?」 「……うん……やさしく、してね……」 ティロの手が、そっと差し出される。 その指が、風をわけて、羽の端にふれようとする。 ——こんなに近くで、 ——こんなに静かな風を感じるのは、初めてだった。 その時、飛鳥はふと、胸の奥で何かがほどけていくような感覚を覚えた。 自分の羽。鳥の脚。人と違う姿。 今までは、それを隠すことでしか安心できなかった。 でも—— (……もし、この子が、それをちゃんと見てくれるなら……) 怖さは、まだ残っていた。 けれど、同じくらい、胸の奥にあたたかい風が吹いていた。 (……ちょっとだけ……“あたし”を見せても、いいのかな……) ほんの小さく、飛鳥の羽がふるりと震えた。 つづく |
||||
iコード | i965098 | 掲載日 | 2025年 05月 16日 (金) 23時 20分 03秒 | ||
ジャンル | 写真 | 形式 | JPG | 画像サイズ | 4203×3471 |
ファイルサイズ | 2,543,507 byte |
◆この画像のURL | |
◆この画像のトラックバックURL |