君は、風に還る 第二部 第一章 ―紫の風、墓地の詩(うた)― お気に入り画像登録
君は、風に還る 第二部 第一章 ―紫の風、墓地の詩(うた)―

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投稿日時
2025-05-28 19:01:26

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矢崎 那央

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傾いた陽が、空に紫の幕を落としていく。
夕映えを纏った森の小径を、二人の少女が並んで歩いていた。

一人は、肘から先が青い羽に変じた、半人半鳥の小さな少女——飛鳥(あすか)。
一人は、狐面を背負い、朱の袴に白装束をまとった、雪のように白い肌の巫女——九重(ここのえ)。

やがて、ふたりはたどり着く。
蔦に呑まれた石造りの教会。崩れた塀、倒れた家々——
そしてその奥に、ひっそりと並ぶ無数の墓碑。

誰もいない村。
風に軋む廃墟の音と、紫空の下で舞う枯葉だけが、
時間の流れを物語っていた。

飛鳥は、湿気でしっとりと重くなった翼を、
そっとたたむと、
足元の枯葉を踏みしめる。
頭上には薄くたなびく紫雲、
耳に残るのは風の音だけ。

(……ここ、誰も……いない……)

その時だった。

「……チッ、また弦切れたじゃん。
Oh hell no, seriously…?(マジでクソかよ……)」

不機嫌そうな少女の声が、墓地の奥から転がってきた。
それは、妙にハスキーで、少女にしては乾いていた。

飛鳥はびくりと身を縮め、翼を揺らす。
隣の九重が、そっと囁いた。

「行きなはれ。……怖がることあらへん」

それでも、飛鳥は一瞬ためらう。
けれど、九重の言葉に背を押されるように、一歩ずつ——声のする方へと歩き出した。


墓碑の影。
そこに、ひときわ異様な雰囲気を纏った少女がいた。

紫がかったボサボサの髪。その間から、炎のようなオレンジの房が無造作に垂れている。
肩口の破れたレザージャケットから覗く、縫い目だらけの乾いた腕。
脚元には鋲のついたブーツ、裂けたレギンス。
その膝に乗せられていたのは、何本か弦の切れた黒いギターだった。

不気味で、壊れていて、それでもなぜか——
“生きている”という実感を、むしろ誰よりも強く放っていた。

飛鳥は思わず立ち止まり、翼を小さくすぼめる。
そっと、隣に立つ九重の袖を指先でつまんだ。

少女はギターを弄る手を止め、顔を上げる。
その瞳は乾いていて、真っすぐで、こちらを射抜いてくるようだった。

「……はぁ? なに、見物かよ、チビ助」

ザラついた声。
風に紛れるような、どこか棘のある響き。

飛鳥はびくりと肩をすくめながらも、震える声で答えた。

「……あ、あたし、飛鳥って言います……。……九重に、連れてこられて……」

九重は、扇子をそっと広げて微笑む。

「ほれ。可愛らしい子やろ?」

ギターの少女はニヤリと笑い、ギターのネックをぐいっと立てた。

「Well well… Ain’t you the cutest lil’ chick I’ve seen in a while(ずいぶん可愛い、小鳥ちゃんじゃねぇか)。
どこで拾ってきたんだよ、Busybody Fox(お節介ギツネ)」

九重はふっと肩を揺らし、軽やかに返す。

「ほぉ……またよう言わはる。
うちが黙ってたら黙ってたで、“つまらん”て言うんやろ?」

少女は「へいへい」と片手を振りながら、再びギターを撫でる。
その手つきは雑でいて、不思議と丁寧だった。

「……あのっ! でも、“チビ助”って……」

飛鳥はむっとして、小さく頬を膨らませた。

「悪ぃ悪ぃ。……でもまあ、事実だろ? 背ぇちっせぇし、細っこいし——風吹いたら飛んでっちまいそうだぜ?」

そう言って、少女はギターのペグをキュッと締める。

九重がちらりと彼女を見て言った。

「うちから見たら、あんたも似たような背丈やけどなぁ?」

「ハッ、余計なお世話だよ、Velvixen(お上品狐)。こっちは“魂のサイズ”で勝負してんの」

少女はそう吐き捨ててから、
ポロロンッと、やけにカッコつけた音でギターを鳴らした。

そして——
少女の視線が、飛鳥の肘から先に伸びる、大きな翼に向いた。

「……まあ、その羽で全部チャラだけどな。サイズ感だけで言や、オレよりデカいぜ、Birdie」

「……うん」

飛鳥は小さく頷き、自分の翼を体に巻きつけるようにかばった。

「脚も……鳥の、みたいで……」

「へぇ。こりゃまた派手に“作り替えられた”モンだ」

少女の瞳が少し細められる。
だけどそこには、嘲りも哀れみもなかった。
ただ、静かに受け入れたようなまなざしだった。

「……怖く、ないの?」

飛鳥の声は、羽の隙間から漏れるように、かすかだった。

「はぁ? What the heck?(なんでだよ?)」

「……みんな、怖がるから。あたしを見て、“化け物”って……」

少女はしばらく無言だった。
壊れかけた墓石にもたれかかり、ギターのネックをそっと撫でる。
かすれた音が、風に溶けていった。

「チビ助。オレも似たようなもんさ」

「……あなたも?」

飛鳥が目を見開く。

少女は答えるかわりに、無造作にレザージャケットを大きくはだけた。
首元から胸元、脇腹にかけてが、大胆に露わになる。

「この身体、誰が作ったのかは知らねぇけど——上出来とは言いがたい。
ほら、見てみなよ」

首元に垂れた銀のチェーンネックレス。
臍には、髑髏の形をした鋲ピアスがひとつ。
胸元は控えめながら、ギターのストラップ跡がうっすらと残る艶やかな曲線。
それを、ぴっちりとしたチューブトップがなぞる様に包んでいた。

だが——その柔らかな膨らみのすぐ下。
紫と土気色がまだらに混じる肌が、まるで別人の皮膚のように縫い合わされていた。

縫合痕は鎖骨から肩へ走る。

更に、右肩には皮膚も肉も無く、変形した骨が隆起し装甲の様に包んでいた。
骨が半分剥き出しになった関節が、こきり、と鈍く軋む音を立てる。

「……!」

飛鳥は思わず息を呑んだ。

「こら、ガン見すんな。……こっちが照れんだろーが」

ふんっ、と鼻を鳴らして、ロメラは視線をそらした。

「いっぺん死んでんだよ、オレ。
そんで、どっかの誰かに勝手に生き返らされてな。
今こうして動いてるのは、作りもんの身体さ。言うなれば——“生きてる死体”ってヤツ」

その言葉に、飛鳥は小さく身をすくめた。

けれど少女は、口元をわずかに持ち上げて、笑う。

「でもな、“死んでも、生きるのをやめねぇ”ってのは——
案外、悪くねぇもんだぜ?」

それは不敵で、どこか痛々しく、けれど——まっすぐだった。

「まあ、作ったヤツには多少ムカついてっけどな。
勝手に作っといて、勝手に捨てやがって……Fucking jerk, seriously」

飛鳥は黙っていた。
足を揃え、小さく震えながら、ギターの音に耳を澄ませていた。

「つぎは、アンタのStory。ちょっと聞かせろや」

少女が促す。

その言葉に、
飛鳥は、ひと息飲んでから、
思い切った様に話し始める。

「あ、あたしっ、はっ......」

一拍置き、静かに続ける。

「...……あたし、自分が何者かわからないの。
目が覚めたら、鳥籠の中で……名前も、過去も、思い出せなくて……」

飛鳥の声は細く、震えていた。

「この身体も、どこかおかしくて……
鳥みたいな脚で、うまく歩けない。
この翼だって、飛べるわけじゃなくて、引っかかってばかりで……
人間にも、鳥にも見えない。“女の子”の姿なのに、ちょっともかわいくない……」

ぽつり、ぽつりと言葉が落ちていく。
少女は、何も言わず聞いていた。
火の気のない目で、ただ飛鳥を見ていた。

「……でも、九重が外に出してくれて……
やさしい人にも会えて、ちょっとだけ……
この羽も、好きになれるかも、って思ったけど……」

飛鳥は、膝を抱えてうずくまり、翼で体を包むように縮こまる。

「……でも、やっぱり無理だった。
みんな怖がるし、拒絶されて、矢を向けられて……
……きっと、あたしが、化け物だから……」

しゃくり上げる声。
嗚咽の寸前で止まるような、か細い声だった。

少女はギターを静かに撫で、立ち上がった。

「——へぇ。そいつは、なかなかRockだな」

そして、ボロボロのジャケットの袖をばさりと払う。

「よし。これからオマエのこと、Hatchlingって呼ぶわ」

「……え?」

「ハッチ-、“孵ったばかりの雛鳥”って意味さ。まだ飛べねぇってだけで、翼はちゃんとあるだろ?」

飛鳥はきょとんとした顔で彼女を見つめる。

少女は、ギターを背に背負い直し、もう一度笑った。
今度の笑みは、どこか照れくさそうだった。

飛鳥の頬が、ぽっと赤く染まる。

「……へんなの。でも……ちょっと、うれしい」

「ま、チビ助よりはマシだろ? 気に入らなきゃ変えてもいいぜ?」

「ううん……ハッチー、好きかも」

飛鳥がそっと笑って顔を上げると、少女もかすかに口角を上げた。
それは、ニヤリというより、少しだけ照れたような笑みだった。

「……名乗っとくか。オレはロメラ。ロメラ・グレイヴ」

一拍の沈黙のあと、彼女——ロメラは、どこか遠い目で言葉を継いだ。

「まぁ……勝手に名乗ってんだけどな。シャレみてーなもんさ。オレの、“生き返ってからの名前”ってことにしてる」

飛鳥は目を瞬かせ、そっとつぶやいた。

「……ロメラ、さん……」

「“さん”はいらねぇって、ハッチー」


***


夜が訪れていた。

廃村の墓地には、灯りはない。
ただ、雲の切れ間からこぼれる月の光が、
いくつもの墓標を、静かに照らしていた。

ロメラのギターから、ぽつり、ぽつりと音が鳴る。
まだ曲にはなっていない。不揃いな調律の音。
けれど、その曖昧な響きすら、墓地の空気に溶け込んでいた。

飛鳥は、どうしていいかわからず、ただ黙って立ち尽くしていた。

「……ったく、こんなに弦切れまくるとか、湿気のせいか? チッ……」

ロメラがぼやきながら、ポケットから切れた弦の端を取り出す。
その仕草は、妙に人間くさくて——生きている人そのものだった。

……けれど。

その腕には、はっきりと縫い目があった。
皮膚と布の境界、骨のように乾いた指先。
それなのに、彼女の動きには死の気配など一切なかった。
軽やかで、自然で——生きることを疑っていない動きだった。

飛鳥は、おそるおそる一歩を踏み出す。
草がわずかに鳴き、ロメラが顔を上げる。

「ん? どうした、ハッチー。来るなら来いよ」

飛鳥はためらいながらも、ゆっくりとロメラの隣に腰を下ろす。
少しだけ距離を空けて。

ギターの音が、またぽつりと鳴る。
そして、ゆっくりとコードを掴み、弦を叩く。

「……よっ、と」

一音が空気に落ちた。

それは、意外なほど静かだった。
歪みもなく、素朴でまっすぐな音。
でも、月明かりの中でそれは、空気を震わせるような力を持っていた。

一音。もう一音。
乾いた指先が、少しずつコードを鳴らしていく。

その時だった。

ふっと、風が動いた。

そして、墓標の陰から、いくつかの“光”が現れた。

青白く、柔らかく揺れる、淡い火のような光。
まるで、呼ばれたように——それらはロメラの周囲に集まり始めた。

飛鳥は息を呑んだ。

「……な、なに……これ……?」

翼がきゅっと縮こまる。
震える声で、彼女は尋ねた。

「……こわい……っ」

それでもロメラは、ギターを弾く手を止めず、肩越しに言う。

「ビビんなって。こいつらは音に惹かれてきたんだ。
いわば、オレの観客さ」

「……観客……?」

「そう。ま、オレも詳しくは知らねぇけどな」

ロメラはギターを静かに止めると、空中に漂う光たちを見上げた。

「精霊って言うらしい。
中には、人の魂が自然に溶けて、こんなふうになったのもあるとか聞いた。
自我はないそうだが、“想い”は残るらしいぜ」

「……想い……」

飛鳥は、そっと手を伸ばした。
震える指先が、ひとつの光に触れる。

それは、逃げもしなければ、弾きもしなかった。
ただ、そこにいて、ほんのりと揺れた。

「……あったかい……」

つぶやいた飛鳥の声に、ロメラがふっと笑ったように肩を揺らす。

「な? 悪いもんじゃねぇだろ」

再び、ロメラのギターが静かに響き始める。
コードが重なり、やがて旋律へと変わる。

「……歌ってみなよ、ハッチー」

「……え?」

「歌だよ。声に出す音楽。メロディにのせて、気持ちを出すやつ。
それくらいは、覚えてんだろ?」

飛鳥は慌てて首を振った。

「……歌なんて……歌ったこと、ない。たぶん……」

「歌詞じゃなくてもいい。
心に残ってる言葉があるなら、それでいい」

ロメラはギターを奏でながら、まっすぐ飛鳥を見ていた。
その瞳に、急かすような力はない。ただ、優しく背を押すような光。

飛鳥は迷いながらも目を閉じ、
そっと、息を吸う。

そして——

その唇が、音を紡ぎ出した。

それは歌というにはあまりにも不器用で、
言葉になっていない、けれど確かに“心の音”だった。

やがて、その声は音楽と重なって、
夜の空へ、風に乗って舞い上がっていった。

ロメラは指を止めなかった。
ギターの旋律に身を預けたまま、ちらりと飛鳥を見る。

その表情には、驚くほど柔らかく、穏やかな笑みが浮かんでいた。

「……やるじゃん、ハッチー」

飛鳥は小さく息を吐き、
恥ずかしそうに笑い返した。

彼女はもう一度、そっと歌い始める。

それは風を断ち、夜を縫い、
静寂の上に静かに編まれる旋律。

誰かの名を呼ぶでもなく、
何かを訴えるでもなく——

ただそこに、あった。


***


鳥のさえずりが、空の高みからこぼれてくる。

やわらかな陽が墓地に差し込み、
冷たかった石の地面を、少しずつあたためていく。

飛鳥は、ゆっくりとまぶたを開けた。
いつのまにか、眠っていたらしい。

肩には、ボロボロの厚手の革ジャケット。
ほんのり甘いコロンの香りがするそれが、そっと掛けられていた。

少し離れた場所では、ロメラがギターの弦を張り直している。
寝癖のように跳ねた髪を手でくしゃくしゃとかきながら、
鼻歌まじりに指を動かしていた。

その隣では、九重が扇子で朝の空気をゆるりとあおいでいる。

「……おはよう」

飛鳥が、小さな声で挨拶する。

ロメラは片眉を上げ、にやっと笑った。

「お、やっと起きたか。昨夜はよく歌ったな」

飛鳥は顔を赤らめ、視線をそらした。

「う、うん……」

ロメラは立ち上がり、ギターを背負い直すと、
何でもないような口調で言った。

「……んでさ、チビ助」

「……ハッチー、だよ……」

まだ眠たげな顔で、ぽつりと返した飛鳥に、
ロメラは嬉しそうに、「クックッ」と笑った。

「じゃあ、ハッチー。オレも行くことにした。お前らと一緒に」

「えっ……ええっ、ほんとに?」

飛鳥が驚きに目を丸くする。

ロメラはふいとそっぽを向きながら、肩をすくめた。

「ウソだったら、朝っぱらからこんな墓地でギターなんか弾かねぇよ。
……ほら、オレって、面倒見いいからさ?
途中で死なれたら寝覚め悪ぃしな」

その口元には、どこか照れ隠しのような笑みが浮かんでいた。

飛鳥の胸の奥に、ふわりとあたたかなものが広がる。

「……ありがとう、ロメラ……!」

「礼は旅の終わりにでも言いな。そん時まだ生きてたら、な」

九重は、ふたりを見ながら微笑んだ。

「……さて。ぼちぼち朝餉と旅支度、始めましょか。
……まあ、朝餉ゆうても、パンと干し肉くらいしかあらしまへんけどな」

そう言って袖を整え、焚き木の準備を始める。

風が吹いた。
誰もいない村の墓標の間をすり抜けて、
東の森の奥へと、淡い香りをまとった空気が流れていく。


————


やがて辿り着くのは——忘れられた温室。

砕けた硝子の天井。
蔦に呑まれた花壇。
それでもなお、美しく咲く花が、そこでひっそりと息づいていた。

——風が運ぶ、次なる出会い。
それは、誰にも理解されぬまま咲いた、
優しく、儚く、そして静かな少女——


——つづく
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