君は、風に還る 第十一章 -濡れ透けエチ事件〜風の輪郭、胸の鼓動 お気に入り画像登録
君は、風に還る 第十一章 -濡れ透けエチ事件〜風の輪郭、胸の鼓動

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投稿日時
2025-05-16 23:11:21

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矢崎 那央

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それから、二週間ほどが過ぎた。

ティロは毎日のように、森の湖畔へと足を運んだ。
そして飛鳥も、最初は戸惑いながらも、彼の訪れを拒まなかった。

最初はほんの数分。
次は短い会話。
そして、少しずつ、風に揺れるようにふたりの距離は近づいていった。

飛鳥はまだ、人と深く関わることに慣れていなかった。
けれどティロは焦らず、押しつけもせず、ただ彼女のそばにいた。

スケッチを描きながら、時折笑い合い、
風と陽の匂いの中で、静かに時間を共有した。

そして、ある日の午後——

湖畔の光はやわらかく、木漏れ日が水面に揺れていた。

飛鳥は、靴も靴下もない足でそっと水の中に入り、
冷たさに「ひゃっ」と声をあげた。

「……冷たいけど、気持ちいいかも」

そう言って、湖の浅瀬を歩きながら、
羽を広げて陽の光を受ける。

その大きな青緑の翼が、きらきらと反射し、
まるで風と光の羽衣のように揺れていた。

ティロは、少し離れたところから、その姿を見ていた。

(……なんだろう……)

ただ見てるだけなのに、胸の奥がざわついていた。

飛鳥は、水面にしゃがみ込み、
翼を使って水をすくうようにしてバシャリと散らした。

しぶきが跳ねて、
肩を出した薄手のチュニックに、水の跡が広がっていく。

最初は気にする様子もなかった飛鳥だったが、
じわじわと濡れた布が肌に張り付き、
胸元や脇のラインが、ほんのりと透けてきた。

「……あっ……やば……」

飛鳥がつぶやき、小さく羽で胸元を隠す。
けれど、その仕草はあまりにも無防備で——

ティロは、目を逸らせなかった。

チュニックの下のうっすらとした曲線。
肩から伝う雫。
光に透ける布越しに見える、柔らかな肌の気配。

(……女の子、なんだ……)

今まで、どこか“人間じゃない”という認識があった。
翼。鳥の脚。異形の体。

でも今、目の前にいる彼女は、
たしかに、女の子だった。

ティロの胸が、どくん、と跳ねた。

(なにこれ……なんで、こんな……)

赤くなる顔。
震える指。
見てはいけないのに、目を逸らせない。

飛鳥が、水辺から上がってくる。
風に濡れたチュニックがまとわりつき、
羽根が重そうにしなっている。

「……失敗した……もっと風が強い時に乾かせばよかった……」

笑いながら言うその姿は、どこかあどけないのに、
その濡れた服と、肌に浮かぶ水の粒が、
ティロの胸の奥に妙な焦燥を残していった。

ティロは、黙ってスケッチブックを開く。

(……描かなきゃ……いや、でも、こんな姿……)

(……描いたら、変かな……)

けれど、手は止まらなかった。

羽根のきらめき。濡れた布の質感。
無防備に見せた“少女”の輪郭。

そして——心の中に芽生えた、ときめき。

「……この子のこと、もっと知りたい……」

その言葉が、胸の奥に浮かんだ瞬間、
ティロのスケッチブックに描かれる飛鳥の姿は、
もう“ただの不思議な子”ではなかった。

***


―この羽に、手を伸ばしてもいいのなら―

その日もまた、湖には静かな風が吹いていた。

ティロと飛鳥は、いつものように並んで座っていた。

飛鳥は小さな花を足の指でつまみながら、ぽつんとつぶやく。
「これ、街で見た花とちょっと違うかも……」
そう言って、足先で花をくるくると回して見つめる横顔は、まるで子猫のようだった。

会話の間、彼女は何度も足を軽くゆすって地面をとんとんと叩いていた。
そのリズムは無意識のもので、何か嬉しいことを噛みしめているようにも見えた。

時折、考えごとをするとき、彼女は翼をゆっくりとたたみ、
体に巻きつけるように抱きしめながら座り込む。
その姿は、見ているだけで守ってあげたくなるほど儚げで、どこか孤独だった。

ティロは、そんな飛鳥の仕草を見て、ふいに気づいてしまった。

(……かわいい)

ただそれだけの感想だった。
でも、その言葉が胸の中にぽとりと落ちた瞬間、
何かが変わった気がした。

(今の……“女の子”として……)

心臓が、どくんと跳ねる。

風の中に溶けていたはずの彼女の存在が、
急に輪郭を持ち始めた気がした。

(……こんな気持ち、初めてだ)

「……ねぇ、飛鳥」

ティロが、少しだけ声を沈めて言った。

飛鳥は水辺に羽を広げたまま、振り向いた。
風に髪が揺れ、もみあげが頬にかかる。

「ん?」

「……その羽……」

「……うん?」

ティロは一度、唇を噛んだ。
けれど、言葉は、思いのほうが先に動いていた。

「……触ってみても、いい……?」

風が止まったような気がした。

飛鳥は、目を瞬かせたまま、すぐには答えなかった。
翼がわずかに引き、彼女の肩が少しすくむ。

「……え……?」

「……あ、ごめん。やっぱり変だよね、いきなりそんなこと……!」

「ちが……」

飛鳥はかぶりを振った。
けれど、視線は泳いだまま、翼を胸元に寄せた。

「……びっくりしただけ……」

「……」

「……だって、今まで、誰にも……そんなふうに言われたこと……なかったから」

ティロは、黙ってうなずいた。

飛鳥は、そっと翼を見つめた。

(この羽が……気持ち悪くないって……触ってみたいって……)

(……ほんとに、そう思ってるのかな……)

羽は、光を受けて青緑に揺れた。

そして、ほんの少しだけ。
ほんの少しだけ、飛鳥は翼を開いた。

それは、触れてもいいという言葉のかわりだった。

「……じゃあ……少しだけ、いい?」

「……うん……やさしく、してね……」

ティロの手が、そっと差し出される。

その指が、風をわけて、羽の端にふれようとする。

——こんなに近くで、
——こんなに静かな風を感じるのは、初めてだった。

その時、飛鳥はふと、胸の奥で何かがほどけていくような感覚を覚えた。

自分の羽。鳥の脚。人と違う姿。

今までは、それを隠すことでしか安心できなかった。
でも——

(……もし、この子が、それをちゃんと見てくれるなら……)

怖さは、まだ残っていた。
けれど、同じくらい、胸の奥にあたたかい風が吹いていた。

(……ちょっとだけ……“あたし”を見せても、いいのかな……)

ほんの小さく、飛鳥の羽がふるりと震えた。

つづく
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