投稿日時 2025-05-16 22:35:18 投稿者 ![]() 矢崎 那央 このユーザのマイページへ お気に入りユーザ登録 |
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―描かれる自分に、気づいた日― 静かな午後。 陽の傾きが湖面を橙に染め始めていた。 飛鳥は、湖の淵に腰を下ろしたまま、 羽を少しだけ広げ、ゆったりと風を感じていた。 斜めから差し込む光が、水と羽のあいだでゆらゆらと揺れる。 その音も匂いも、なにもかもが優しくて、 飛鳥は思わず目を閉じた。 (……なんか、こんな時間、はじめてかも) 人に見られないようにと、いつも隠れていた。 誰かと一緒にいても、心はどこか逃げ場所を探していた。 でも今は、隣に誰かがいるのに、怖くない。 それが、少し不思議だった。 カリ、カリ……。 規則的な音がする。 ティロがまた、スケッチをしている。 飛鳥は、おそるおそる横目でその手元を見た。 紙の上には、 自分の輪郭が、静かに描かれていた。 翼を伸ばして座る姿。 風に揺れる髪の線。 光に透けた羽の細かな描写。 (……あたし、描かれてるんだ……) 何かが、胸の奥できゅっと締めつけられた。 同時に、ほんの少しだけあたたかくなる。 「……ねぇ、それ……」 思わず声をかけていた。 ティロは鉛筆を止めて、顔を上げる。 「……あ、ごめん。勝手に描いてた……嫌だった?」 「ううん……ちが……」 飛鳥は、どう答えればいいのか分からず、視線を落とした。 「……変じゃない?」 「え?」 「……あたしの姿。羽とか、脚とか……気味悪くない?」 ティロは少しの間、何も言わなかった。 けれどやがて、小さく笑って、スケッチブックを閉じた。 「……絵を描く時ってさ、 “これを描きたい”って思った瞬間、もう全部“きれい”なんだよ」 「……え?」 「不思議で、見たことなくて、すごく綺麗で…… だから、描いてる。 君のこと、“おかしい”とか“気味悪い”とか、思ったことない」 ティロの声は、ただ静かで、まっすぐだった。 飛鳥はうまく返せなくて、 ただ、翼の先を自分の脚にそっと重ねる。 「……そっか……」 言葉はそれだけだったけれど、 胸のなかには、静かな風が吹いていた。 いつかは飛べるのか分からない翼。 でも今、その羽を「見たい」と言ってくれる人が、隣にいる。 それだけで、ほんの少しだけ、 自分の姿を見つめてもいい気がした。 つづく |
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