投稿日時 2025-05-07 19:43:47 投稿者 ![]() 矢崎 那央 このユーザのマイページへ お気に入りユーザ登録 |
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封印の札が風に舞った、その刹那。 空間がきらめいた。 ——気配が変わる。音もなく、匂いもなく、ただ世界そのものが静まり返る。 そんな中、天井の吹き抜けに、影が揺れた。 「……はぁ...やっぱり...なぁ」 九重がそっと扇子を伏せ、顔を上げる。 その表情はあくまで涼しく、 しかし、口元にだけ少し、 まるで、イタズラが母親に見つかった少年の様な、苦笑いが浮かんだ。 崩れた天井から、ふわり、と何かが降りてくる。 長い蒼の髪を静かに揺らしながら、 音もなく、柔らかく地面に降り立ったのは、 ひとりの女性だった。 肌は、陶器のように冷たく白く、そこにほんのりと青みが差している。 頬や肌のかしこには、紋様の様な朱の刺青が彫られているのがみえた。 鼻筋はすっと高く、口元と顎は柔らかな曲線で形作られ、静かな包容を感じさせる輪郭。 額には黒金の髪飾りが左右に二つ飾られ、前髪をかき分けるようにそっと留められている。 彼女の仕草は、嫋やかで、 しかし、ルビーのように透きとおる赤の瞳の奥に、まるで子を慈しむ母の様な、優しさを感じさせる。 しかし、鼻先から頬にかけて淡く散ったそばかすが、どこか彫刻の様な触れ難さを和らげ、人間味と親しみを感じさせていた。 ——そんな存在。 「やっぱり、この子の事、気にしてはったんやねぇ...アジュール……」 九重はその名を呟く。 それだけで、場の空気がさらに澄んでいく。 アジュールと呼ばれた女性は、何も言わず、 目元を、すっと優しく曲げ、ただ九重にむかって微笑んだ。 目元を囲む縁の影が、その奥行きを際立てている。 そして、飛鳥へ向き直る。 真っ直ぐに歩み寄った。 その足取りは、水面を滑るように静かで、グリーンのビスチェに、斜めに巻いたロングスカートが波のように揺れる。 腰元に垂れた、細いチェーンと宝玉の飾りが、歩くたびに揺れて、音もなくきらめいた。 飛鳥は、まだ鳥籠の中。 目を見開き、その姿を見上げていた。 「……やっぱり……こわい……。外に出るの……」 その声に、アジュールは静かに首を横に振る。 それは否定でも拒絶でもない仕草。 そして、膝をつき、ひとつ手を伸ばした。 スカートの深いスリットから、しなやかな脚と、その先のアンクレットがわずかに覗く。 その動作は、触れるわけでも、命じるわけでもない。 空気を撫でるような、そっと風を導くような動き。 飛鳥の肩に、風がふれた。 それだけで、彼女はわかった。 「……あなた、優しいんだね……」 言葉は返ってこなかった。 けれど、アジュールの長い髪がそっと揺れて、頬にかかった光が、ゆるやかに笑みを照らした。 それは、ささやかな肯定のようだった。 「この子はねぇ、喋れへんのやけど……この子の目ぇみたら、ちゃんと伝わるやろ?」 九重が後ろから静かに言葉を継ぐ。 「飛鳥ちゃん。この子はまぁ...“見守っとる”だけの様な存在やけど…… いざという時は、ちゃんと、向かうべき方へ背中押してくれはる。そんな子や」 アジュールは、ゆっくりと立ち上がる。 彼女のドレスが風にそよぎ、腰飾りが揺れる。 言葉はなかった。 でも、その瞳は飛鳥に伝えていた。 (——もう、大丈夫。あなたは行ける) そして、アジュールはやさしく、そっと鳥籠の扉を大きく開いた。 それに促される様に、檻の中の少女は、自分の足で——外の世界へと一歩を踏み出す。 一歩を踏み出す足が震えた。でも、肩を撫でた風が、背中をそっと押してくれる気がした。 「…………うん」 飛鳥がそう言ったとき。 アジュールが静かに首を傾けて—— ふっと、安堵したように笑みを浮かべた。 そして、その喉が微かな音を漏らす。 「……クルルル……」 甘えた子犬の鳴き声の様な声だった。 それは、これまでの威厳とは正反対の、どこかくすぐったいような、嬉しさに溶けた小さな鳴き声。 飛鳥は、これまでの彼女の雰囲気との落差にきょとんとした。 そして、なぜか自然と微笑みが浮かび、彼女に微笑み返す。 ——それは、飛鳥が目覚めてから、初めて見せた笑顔。 「この子はね。今、 いってらっしゃい——て言わはったんよ」 九重が飛鳥にむけて呟く。 優しい蒼い風に背中を押されて、檻の中の少女は、自分の足で——外の世界へと一歩を踏み出した。 ——つづく |
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