投稿日時 2025-05-07 19:22:20 投稿者 ![]() 矢崎 那央 このユーザのマイページへ お気に入りユーザ登録 |
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——羽音が聞こえた。けれどそれは、自分の羽ではない。 小さな風のざわめき。草を撫でる音。 遠くで鳥が鳴く。けれど、それもどこか、自分ではない。 「……う……ん……」 少女は瞼を重たげに持ち上げた。 霞がかった視界。乾いた空気の匂い。 木洩れ日が、籠の隙間から頬に触れる。 そこは——知らない場所だった。 そこに置かれた檻の中に、自分は閉じ込められている。 「……どこ……ここ……?」 掠れた声。 言葉を発したことさえ、久しぶりだった気がする。 体は重く、翼も脚も、うまく動かせない。 彼女——まだ名のない少女は、寝藁の上でもぞもぞと身を起こす。 両腕の代わりにある、青緑の大きな翼が、ぎこちなく揺れた。 「……っ!」 その姿に、自分自身が驚いた。 翼。羽毛。鳥の脚。 自分の身体のはずなのに、どこか“借り物”のような違和感がある。 「やっと目ぇ覚ましはりましたなぁ」 どこか遠くから、鈴のように響く声がした。 視線を向けると、籠の外にひとりの少女がいた。 真白い肌。 白い髪を高く結い、赤い袴を揺らす巫女装束。 手には朱扇。狐の面が顔の上半分を隠している。 「……だ、れ……?」 「ウチは九重(ここのえ)。 ここの封印をほどこしに来ただけのお役目どすえ」 そう言って、彼女は籠の前に静かにしゃがんだ。 面の奥の瞳が、じっとこちらを見つめている。 「けどまぁ……お名前も、思い出せんのやろ?」 「……わかんない……あたし、なにも……」 「ふふ。なら、名前くらい、つけたげましょ」 九重は朱扇を閉じると、すっと指を伸ばした。 指先で籠の縁を撫でながら、まるで詩を詠むように続ける。 「この羽、よう風を知ってはる…… 目ぇも、生まれたばっかりの空みたい。そやさかい……“飛ぶ”ことを、忘れた鳥の名として——」 一拍、間を置いて。 「……“飛鳥(あすか)”って、呼ばせてもらいますえ。ええ名前やろ?」 「……あすか……?」 口にしてみると、それはすこしだけあたたかく、 どこか懐かしい響きだった。 九重はふっと微笑み、狐面の奥でやさしく目を細めた。 「そないな檻に閉じ込められて……不安やろなぁ。せやけどな、飛鳥ちゃん」 彼女は囁くように、けれどはっきりと告げた。 「檻の鍵、開けられるとしたら……出てみたいと思わはる?」 その言葉は、風のように——飛鳥の胸の奥へと入り込んだ。 しばし沈黙。 だが、少女は——ゆっくりと、しかし確かに頷いた。 「……出たい。……あたし……自由になりたい……」 それを聞いた瞬間、九重はすっと立ち上がる。 「……よろし。ほな——開けますえ」 朱扇をひらりと振るうと、籠を囲む封印が、ひとつずつ、ほどけていく。 静かに、でも確かに。 (——あんたが、そう言うてくれはったら、それで充分) 風が吹いた。 それはもう、檻の中の風ではなかった。 ——つづく |
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